新羅神社と古代の日本
新羅神社と古代の日本 出羽弘明
古代朝鮮半島の三国時代に存在した新羅、百済、高麗などの古代朝鮮の国名を冠した神社が日本各地に多数存在している。これらは半島から渡来した人々が国を作り、祭祀を行った痕跡である。三国のなかでも新羅の神は群を抜いて多い。古代日本の創成期に新羅国の人々は我が国の政治文化に多くの影響を与えている。
新羅は356年から935年まで続いた。新羅神社は渡来が多く全国に大きい神社が38社ある。記紀神話に最初に登場する外国は新羅である。素盞嗚の命と新羅の曽尸茂梨そしもりの話である。また、記紀によれば初代天皇の神武の2人の兄は新羅人であった。神武天皇の祖父や父は素盞嗚の命の子孫である。天孫族は新羅の神である。
ここで、日本の歴史を振り返ってみよう。1万数千年前に磨製石器の新石器時代から縄文土器の縄文時代になった。縄文人の時代であった。
紀元前500年頃から中国の呉越、山東半島、朝鮮南部の倭人が、水田耕作、青銅器、鉄器などを持ち込み弥生時代になった。150年頃から倭国大乱が起こり、230年頃卑弥呼が共立王になった。
300年頃から前方後円墳が作られ古墳時代になった。大和朝廷による統一の動き。372年百済から七支刀が贈られる。391年高句麗と交戦。451年倭王済が宋より安東大将軍倭国王に任命される。新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓6国軍事。これらの国から渡来が多かった。562年任那が滅亡、朝鮮への影響力失う。593年聖徳太子が摂政になり、飛鳥時代がはじまる。
日本人は縄文人(15%)と、BC500年から弥生時代の稲作倭人(20%)と、300年からの古墳時代の黄河流域や広いルーツを持つ渡来人(65%)からなる混合混血民族になった。古墳時代の渡来人特に新羅からの渡来人の影響が大きかった。