日本の人口戦争
日本の少子化百年の迷走 河合雅司
1.日本の人口動向
①1868年 3500万人 明治維新
②1905年 4700万人 日露戦争
③1912年 5000万人
④1926年 6000万人 人口激増、欧米日本敵視
⑤1936年 7000万人 明治維新から倍増
⑥1945年 7200万人 終戦
⑦1950年 8300万人 1000万人増加、海外引き上げ・ベビーブーム
⑧1967年 1億人
⑨2007年 1億2800万人 最高
⑩2022年 1億2500万人
1896年 福沢諭吉 明治人口爆発と英国を見習った日本海外植民地の必要性説く
1918年 米騒動発生、海外移住解決論
1929年 世界恐慌、年100万人増加、新領土の獲得の選択主張
1931年 満州事変 満蒙は日本の生命線
1933年 5.15事件、国際連盟脱退
2.戦後の人口政策
1945年 ミズーリ号降伏文書、3年8か月の大東亜戦争終結 日本の敗戦は、人口過剰の解決策を海外に求めた戦前の人口政策の破綻
1945年人口7200万人→ベビーブームにより1950年8300万人 食糧不足は米国小麦輸入で解決1949年
GHQ人口政策
①医療・公衆衛生 死亡率低下
②日本の工業化 食糧輸入可能に
③家制度の否定 個人の結婚・出産の自由
④産児制限(米国カトリック教会から集中砲火浴びるたが)
GHQは表に出ない。日本人協力者立てる。加藤シヅエ(戦前に産児制限主張)などが議員立法を出す。
1948年 優生保護法(人工妊娠中絶の公認)と薬事法(避妊薬の公認)、1949年 吉田内閣 優生保護法第1次改正(経済的理由OK、世界初の公認)、1952年 優生保護法第2次改正(医師の認定による中絶可能)→ベビーブーム終焉(1949年中絶件数10万件、1950年32万件、1953年150万件)
3.安倍晋三政権2013年地方創生という人口減少対策
結婚・妊娠・出産・育児支援(日本の少子化の原因は未婚・晩婚)
①東京1極集中に歯止め、地方移住(東京の住宅事情悪い)
②東京圏の高齢者を地方移住(2025年には東京圏の75歳以上の高齢者175万人)
③地方都市のコンパクト化(中核となる地方都市に人口集中、賑わい維持)
④少子化対策(結婚支援策、多子世帯優遇)
日本は今後毎年100万人人口減少、2060年に9600万人になる。
4.世界のメガシティ・トップ10
都市化は人口減少を引き起こす。日本は人口の93%は都市部に住んでいる。人工減少率もトップレベル。
1位 東京圏(日本) 3800万人
2位 デリー(インド)2600万人
3位 上海(中国) 2400万人
4位 ムンバイ(インド) 2100万人
5位 サンパウロ(ブラジル)2100万人
6位 北京(中国) 2100万人
7位 メキシコシティ(メキシコ) 2100万人
8位 大阪圏(日本)2000万人
9位 カイロ(エジプト) 1900万人
10位 ニューヨーク(アメリカ) 1800万人