日本の人口減少を止めよ

日本の人口減少を止めよ

(日本の少子化百年の迷走 河合雅司)

世界の人口は2022年に、80億人に達した。2060年には100億人に達する。一方、日本は、2060年では9000万人、高齢化率40%である。インド、ナイジェリア等アジア、アフリカ、南アメリカ等が人口増大する。2060年で人口減少するのは、1位日本65%、ドイツ80%、韓国90%の3ヵ国のみである。

人口戦争という言葉がある。戦前の世界では、戦争は肉弾戦であり、人口が多い国が強かった。日本は産めよ増やせよが国策であった。日本の人口は明治維新の時、3500万人であった。富国強兵を計り、日清戦争時4200万人、日露戦争時4700万人に膨らんだ。ところが、米騒動など食料不足になってしまって国民は貧困に喘いだ。対応策は、移民と植民地捜しであった。しかし、人減らしは難しく、生き残りを懸けて満州へとなってしまった。敗戦でGHQが占領政府として日本に来た。1950年には、狭い国土に8000万人の人口がいた。食糧難を、世界一富強国のアメリカは緊急小麦輸出で対応した。GHQは、食糧難による日本の軍事侵略国化を阻止するため、少子化の人口政策を日本に対して実施した。ただし、アメリカはキリスト教国であり、特にカソリックは人口制限を認めてないので、日本人協力者・女性家庭啓蒙家を使った。経済的理由による人工中絶と避妊薬普及を吉田内閣は認めた。そして、1949年を境にして人工中絶が激増し、突如としてベビーブームが終焉した。1974年政府は家族計画「子供は2人まで宣言」という愚策でオウンゴールし、少子化が一層進んだ。一方、産児制限は負の側面ばかりではなく、戦後の高度成長が実現し、先進国にまでの復興をもたらした。1990年、生涯出産1.57ショックが起こった。2005年には1.29まで落ち込んだ。2010年鳩山民主党政権は、産めよ増やせよ少子化対策を否定し、生まれてきた子供を大事に育ててゆく支援策に注力した。2012年第2次安倍政権が生まれ、ようやく人口政策が動き出した。「地方創生」という人口減少対策を打ち出した。「まち・ひと・しごと創成」で2060年人口1億人確保を目標にした。地方創生は①東京一極集中歯止め―若者の住宅結婚難対応と高齢者増対策②地方都市のコンパクト化賑わい維持③結婚支援策、多子世帯優遇策など対策。少子化対策は、まず人口戦争の戦略思考から脱げだし、「家族を築く楽しさ、子孫をつないでゆく素晴らしさ」を認識し、価値観を改めることが必要である。