どんな民族でも宗教で動いている
(お金の日本史 井沢元彦)
どんな民族でも宗教で動いている。モラル、行動の基本になる。
①欧米(欧州、ロシア、アメリカ)はキリスト教
②中東、インドネシアはイスラム教
③インドはヒンズー教
④日本は日本教(人間・自然の和の思想)
⑤中国は朱子学儒教。儒教は無神論だ。目に見えないものは信じない。ただ、親に産んでもらった、親の親である先祖は、命の恩人で恩返しをする。日々の生計を支えてくれる組織は、親も同然の親分である。主君・トップの存在は、否定できない事実だ。飯を食わせてくれるものは命の恩人で、恩返しをする。儒教の根本は、親・先祖への孝、生計トップへの忠である。忠孝がモラルの根本である。孔子も孟子も、法律よりも親が大切と言っている。朱子学儒教は、先祖崇拝の宗教である。明の朱子学は士農工商の科挙制度を作り、身分制度を作った。士が指導者で、農民や工人は物つくり、商は何も作らないのでクズである。明は建国から商人弾圧と貿易を禁止した。日本の渋沢栄一は「(孔子の)論語と算盤」で、「恒産無くして、恒心無し」で、道徳心のある商売、海外貿易をする商工業者が新生日本に巨大な富ををもたらすと説いた。
先回も、教養としての宗教でブログ(島田裕也)を掲載したが、宗教はスキャンダラスなものである。人間は毎日、食事をしないと死んでしまう業を持っている。宗教は信者たちに信じさせるために、証明することのできない神の実在を言う。入信動機の貧病争からの悩み、苦しみからの救済を説く。一方、宗教は生産手段を持たないので、どうしても金が必要である。スキャンダラスにならざるを得ないのである。