勉強が出来ずに成功する
(チャーチル 林幹人、ダイソー矢野博丈 大下英治)
勉強が出来なくても、その結果、成功したチャーチルとダイソー矢野の例がある。
1.英国チャーチル
英国チャーチルの父は、インド相、財務大臣の政治家であった。学校の成績は、ビリかビリ近くの成績で問題児であった。ラテン語は学べず、英語の基礎を勉強した。結果、政治家の演説に役立った。結婚した妻からはrの発音の矯正を受けた。父は軍人を勧めた。チャーチルは健康で運動が好きで軍事大学では130人中20位であった。あとはインド、南アフリカで常に最前線で戦った。捕虜になって脱走に成功して本国で有名になった。彼は実戦経験が豊富で戦争が好きであった。父の代からユダヤ人との付き合いがあった。資産運用など任せた。選挙に当選し政治家の道に進んだ。第1次大戦、第2次大戦に戦争担当として関わった。ヒットラーとの英国本土防衛戦で不屈の闘志を見せた。アメリカのルーズベルト大統領が参戦し、アメリカ、ソ連、英国連邦と当時の資源大国が協力して、日独伊を打ち破った。
2.ダイソー矢野博丈
父親は大阪医大を卒業した医者であった。祖父は裕福な庄屋であったが、農地改革と親戚の保証人になり没落した。父は貧乏医者になった。兄は勉強して医者になった。大学に行く金がなかったので、高校ではボクシング部で、中央大学夜学に入った。生活費がなく、バナナ売りで稼いだ。大学卒業後、広島の妻の実家の養殖魚屋を継いだが、夜逃げして東京に戻った。屑屋をやったが、雑貨の移動販売屋になった。売り上げ計算が面倒なので、100円均一にした。100円均一の上限の中で、100円の高級品を作ることを目指し、高品質商品を自社開発したのが、ダイソーの成功になった。長い間、底の浅い商売のダイソーは潰れると言われ続けた。今でも株式公開していない。絶えず将来の不安について考えるクセがついた。家が貧乏で苦労ばかりしてきたことが、結果的に役立った。朝から深夜まで肉体労動をした。ものごとは、ずっとうまくいくことはあり得ないと考えて、店舗も出すな出すなと言い続けた。商売は潰れなければ最高だ、生きて行ければ最高だと考えるようになった。今では、店舗数5000店舗(国内3000店、海外2000店)、商品点数7万点。1ヵ月700点の新商品を発売している。人生はある意味で運ですと言う。パーティの挨拶でユニクロの柳井正社長が、株式会社は5年以内に7割潰れる。10年以内は9割潰れる。30年続く会社は、0.01%しかいないといった。会社が潰れると言われ続けて頑張った。