戦後70年の3エポック

戦後70年の3エポック

(許永中 森功、運は創るもの 似鳥昭雄)

敗戦後10年はゼロからの出発期であった。許永中は在日韓国人で、一家は大阪でドブロク密造で食べていた。似鳥昭雄は樺太から札幌に引き上げ、一家はヤミ米商売で食べていた。両家は、極貧で肉体労働で暮らした。許永中は体が大きく不良番長であったが、頭は学校で上であった。似鳥昭雄はいじめられっ子で成績はビリであった。1960年からの日本の高度経済成長が30年続いた。許永中はスラム街の同和人脈と暴力団人脈を使い、裏社会に進出した。関西フィクサーの野村周史と東邦生命の太田社長と知り合って、不良債権処理に活躍した。1990年バブルが弾けてから、商社伊藤萬(イトマン)・住銀の3000億円不良債権処理のゴタゴタ、石橋産業手形詐欺で、1999年有罪となった。現在ソウル市で暮らす。似鳥昭雄は父がコンクリート会社を札幌に創業し、その30坪土地家屋で、安売り家具屋を開業した。米国視察や渥美俊一チェーンストア研究会に加盟して勉強した。北海道内に支店を作り、ニトリと店名変更し、札幌証券取引所に上場した。実行力と一等地選びが功を奏した。バブルが弾けてから2020年までの30年デフレ時代、「おねだん以上ニトリ」は、時代に乗った。インドネシア、ベトナムに工場を作った。台湾、米国、中国に出店した。2013年、300店、3000億円売り上げを達成した。