戦後の日本人
(僕たちは戦後史を知らない 佐藤健志、日本の戦後 皿木喜久)
1.1945年終戦から1991年ソ連崩壊の45年間ー欧州東西冷戦の終結
日本は戦争に負けて、悲惨な戦後を迎えるはずだった。欧米諸国も政治・軍事・経済で日本を2度と立ち上がせないよう考えていた。ただ、共産主義ソ連の排除で、マッカーサーが連合軍最高司令官につき、軍国主義から民主主義に変える目標を持った。侵略者日本に、押し付け平和憲法や歴史観、財閥解体、農地改革、労働運動奨励、婦人参政権など社会改革を進めた。1948年銀行家ドッジが日本を共産主義の防壁にするため。経済安定化と賠償中止を実施した。日本は連合国の敵から共産主義対抗の味方に変化した。1950年朝鮮戦争勃発、警察予備隊で再軍備をスタートさせた。戦争景気で経済が復活した。1953年朝鮮戦争は休戦した。日本は1952年独立したが、平和憲法があり、共産主義国と戦争中であるので、軍事防衛(日米安保条約)については、連合軍・アメリカ軍に現在も依存している。
1ドル=360円の固定相場制(1945年ブレストンウッズ体制)、IMF、世界銀行、GATTなどで日本は優遇された。1971年ニクソン金交換停止ショックがあり、スミソニアン会議で、73年には1ド=308円の変動相場制になった。1990年に日本の名目GDPは世界2位と経済成長した。1995年には1ドル=70円になった。日本は輸出競争力が大幅に落ち、低成長国になった。また、1991年ソ連崩壊により、欧米東西冷戦が終わり、日本と欧米の市場競争は厳しくなった。
2.1992年から2022年現在まで30年間ー中国の市場経済改革と共産党覇権主義
1992年中国共産党の鄧小平は上海、深圳などの南巡講話を実施し、市場経済・改革開放を呼び掛けた。1992年から2001年までの経済成長は年平均10%であった。2001年世界貿易機構(WTO)加盟が承認された。関税の引き下げ、国内諸制度の改善、直接投資の受け入れ等が進み、大量の農民工の労動力が加わり、以後も10%以上の成長が続いた。
2012年習近平が総書記、軍事委員会主席、2013年国家主席になった。GDP、軍事費を背景に、拡張主義的な軍事、外交政策を展開している。2013年オバマ大統領に太平洋2分割案を持ちかけた。日本は、太平洋に接しているのは日米だと牽制した。権力集中、独裁統制強化体制により、中国が抱える難問が解決できるか疑問になってきている。チベット、ウイグル民族問題、貧富格差是正、幹部汚職腐敗、国内暴力事件、大気汚染、経済成長鈍化、少子化、香港民主化、南シナ海占有、台湾進攻、尖閣諸島侵略など。
日本と中国の経済競争は、低賃金労働者の多い労働集中工業において中国が圧倒的に有利。世界自由貿易機構下では、原価の大部分を占める低賃金が工業製品競争では強い。そして中国は恣意的な固定相場を維持している。2020年李克強が中国で6億人の月収が1000元(15000円)、年収18万円と言った。平均年収は120万円(月収10万円)、日本は平均年収440万円(月収40万円弱)。日本の企業も中国に直接投資をして、低賃金労働力を使えば、価格競争力がすごくなる。ただ、中国共産党の制度では、利益を日本に持ち帰れない問題がある。
米国は、2022年2月インド太平洋戦略を発表した。台湾海峡での平和安定を維持し、朝鮮半島の非核化を追求し、韓国・日本と協調することで、インド太平洋の安全保障を高めるとした。