戦後日本には日米密約が存在する

戦後日本には日米密約が存在する

(日本はなぜ戦争ができる国になったのか 矢部宏治)

日本には平和憲法と在日米軍という矛盾が存在する。

1.太平洋戦争後の日本の戦後体制は、アメリカが日本を統治する体制を作った。日本軍の武装解除は天皇陛下にお願いした。それで、日本国内はあっという間に治まった。アメリカは、日本が軍国主義に戻らぬように、平和憲法を作った。第9条の①戦争放棄②戦力不保持③交戦権否認である。しかし、日本の自衛問題が起きた時、日米は「統一指揮権=戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約を結んだ。1952年吉田首相が口頭で結んだ密約(アメリカ公文書)。基地の密約と指揮権の密約がある代わりに、極めて寛大な平和条約になった。

2.在日米軍(国連軍)と日本政府・自衛隊の構造(1960年1月新安保条約後) 

米軍と日本の官僚(トップは法務省大臣官房長⇒将来検事総長と外務省北米局長)が、月2回戦後開催してきた日米合同委員会が日本の法的権力を握っている。

①基地権の存在

②基地の提供

③指揮権の存在

④戦争協力

⑤共同軍事行動(戦争になったとき、日本軍は米軍の指揮下に入る)