そして生き残った
(そして官僚は生き残った内務省、陸・海軍省解体 保坂正康)
太平洋戦争で日本が敗戦したのは、内務省、陸・海軍省の官僚組織(最初の学校成績至上主義、責任体制の不明確性、特権意識)からの必然的腐敗にある。敗戦後、陸海軍の軍人の自決に2種類ある。1945年8月15日ポツダム宣言受諾から9月2日降伏文書調印、陸海軍解体までに自決した軍人は敗戦責任(天皇に詫びる)、多数戦死者責任(国民に詫びる)自決であった。9月3日以降の自決は残務処理終了自決とGHQ戦争犯罪人裁判自決(自らのプライドを守る)自決であった。前者の代表は8月15日陸相官邸で「一死大罪を謝す」天皇に詫び割腹自決した阿南惟幾(あなみこれちか)である。後者の例は、9月11日GHQ逮捕にピストル自殺未遂をした東条英機である。自らのプライドのためだった。天皇・国民に詫びる姿勢ではなかった。
日本帝国の終焉に散った自決者は500人以上いる。その中で、陸軍の横暴を訴え、親泊朝省(おやどまりちょうせい)陸軍大佐は、降伏文書調印の前夜に一家4人自決している。ガダルカナル戦の作戦参謀で「ガ島で死すべかりし命を今宵絶ちます」といい、陸軍の横暴を痛烈に自己批判した。陸軍が敗戦に至って、政府、国民から見放され、戦争責任者に立ったことを痛烈に反省した。満州事変、支那事変は現地軍の独断である。我ら軍人の罪である。「即ち、無辜の民衆にたいする殺戮、中華民国人に対する蔑視感、強姦、略奪等の結果は、ある高貴の方(皇族)をして、皇軍を蝗軍と呼ばしめ奉るに至ったのである」という。また、ガダルカナル戦の戦争指導の問題点にも触れている。大命に沿って戦った部隊と二重の心を持つ指揮官の例を紹介している。また、軍が政治に興味を持ったのは敗北の有力な原因とした。アメリカ側もよく分析していた。「日本の兵は強いが、日本の軍中央部は恐れるに足りない」陸軍の人事についても指摘している。「まことに恐るべきことは、第1線に出されることが懲罰とされていたこと」という。省においてもある高級将校は「俺の言うことを聞かぬ奴はニューギニアの第1線にやるぞ」と部下を脅していたという。どうして強い軍隊たりえようか。
インパール作戦に従軍した下級兵士の証言もある。いかに数多くの仲間が大義のないこの戦闘で理不尽に死んだか。この作戦を進めた軍司令官について、あんな軍人が畳の上で死んだことは許せないと叫んだ。終戦時に腹を切って責任を取れということだ。
もっと恐ろしいことがある。身近に実例がある。全滅戦の指揮官が戦後生き残っていることである。部隊が全員万歳突撃か自決して全滅したとき、司令官は秘書に、立派に死んだことを見届けることが自分の役目であるといい、2人で戦線を脱出して、戦後ぬくぬくと豊かに長寿を全うした実例がある。恐らくかなり多数の高級指揮官も同じであったろう。
最後の陸軍大臣となった下村定は戦後処理の成功と失敗を語っている。成功は軍人をそれぞれの故郷に戻したこと。失敗は陸海軍に保管している資材を放出してもよいとしたことだ。その実施要領や手続きがあいまいなため、資材・食料が要領の良い者によって一方的に持ち出されたことだ。軍人の中には暴利を貪った者が多数いた。戦後日本の成功者になった者も多かった。その他にも、うまく立ち回り、戦後のノーモラル時代を突き抜けた土地・金持ちが出た。新しい戦後日本の資本主義モラルが出来た。