第2次世界大戦敗戦の原因

第2次世界大戦敗戦の原因と結果

(日本が戦ってくれて感謝しています井上和彦 ほか)

日本の第2次世界大戦は、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争(日本名は大東亜戦争)の3つに分かれ、それぞれ大義と勝敗は違う。太平洋戦争に負けて、結果が定まった。

1.軍部の独走を許す大日本帝国憲法

第11条にある「天皇ハ陸海軍ヲ統率ス」は、天皇が統帥権を持ち、陸軍・海軍参謀が著名するシステムで、軍部が独走し、内閣も議会も関与できなかった。明治憲法の欠陥である。

2.満州国建国で関東軍の独走

満州国の関東軍の独走。関東軍司令部条例3条の管外出兵権条項に「軍司令官の決裁があれば、軍事行動が起こせる」ことが明記されていた。遠き満州では、若年参謀が東京を眼中から外し行動可能で、満州国建国の成功は、我々が血を流して建国した国だという気持ちで下剋上の風潮を生んだ。1932年に成立した満州国は五族共和で、清の溥儀が満州国皇帝であったが、国籍法がなく、独立国ではなく大義が弱く傀儡国家であった。議会が無く、実権は関東軍司令官が把握していた。1937年満州産業開発5か年計画で経済は発展した。1945年日本降伏で崩壊解体した。

3.日中戦争

1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで8年、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。盧溝橋事件の開戦を発端に、特に大義はなく、侵略と植民地支配を目指し、北京、上海、南京など主要都市を制圧したが、上海占領時点で死傷者が4万人に達した。点と線の占領しか出来ず、重慶、四川など奥地は戦力不足で膠着持久戦になった。汪兆銘傀儡政権など工作したが、無駄であった。1945年日本降伏とともに終了した。

4.太平洋戦争

1941年(昭和17年)12月から1945年(昭和20年)8月までの4年間、アメリカおよびイギリスを中心とした連合国と日本との戦争。広義に第2次世界大戦に含まれる。アメリカでは太平洋戦争、日本では大東亜戦争と呼んだ。ファシズム(強権独裁、非民主的・非議会主義的政治経済体制)とデモクラシーの戦いだった。アメリカは中国からの撤退、日独伊三国同盟からの離脱を要求し、石油の全面禁輸を続けた。石油の7割をアメリカに頼る日本は、オランダ領東インド(インドネシア)の油田地帯の確保しか戦争継続の手段は無かった。42年5月までに、日本はホンコン、マレーシア、フィリピン、グアム、シンガポール、オランダ領東インド(インドネシア)、ビルマなど制圧した。42年6月ミッドウエー海戦で空母3艦失い以後連敗した。1945年5月ドイツ降伏、8月広島、長崎原爆投下、日本降伏。大東亜共栄圏構想(40年近衛内閣以降、唱えられたアジア政策構想。中国や東南アジアを欧米帝国植民地主義から解放し、日本を盟主に共存共栄の経済圏作成の構想。日本の侵略戦争の合理化スローガン)は、日本は敗戦したが、大義名分のスローガンは果たされた。アジア各国の戦後の独立に貢献し、白人植民地主義の長い歴史を終焉させた。