武器の日本史

武器の日本史

(武器が語る日本史 兵頭二十八)

人類は180万年前、原始時代に木の棒(手持ち木やり)の武器で生物の頂点に立った。細長い物体の先端の一点にエネルギーを集中する突きで相手の肉を突き破ったのだ。氷河期が終わった1万年前には大型動物がいなくなり、弓矢ができた。やりと弓矢は殺傷原理は同じである。AD1300年頃、銃(口径2cm未満)、砲(口径2cm以上)ができた。火薬の圧力で銃弾を高速で発射し殺傷する。これも同じだ。今後は光速のやり(レーザー光、マイクロ波、中性子ビーム)が開発されるだろう。

武器の日本史

2000万年前、日本列島は大陸から分離した。1500万年前日本海ができた。500万年前弧状列島になった。7万年から1万年前、最終氷期(ウルム氷期)があった。4万年前、日本列島に世界最古の磨製石器があった。2.4万年前、シベリア並み寒さ、ナウマン象向け投げやり。1.2万年前、気温上昇ナウマン象消滅突きやり。1万年前、投げやり、弓矢でイノシシ、シカ狩り。5000年前青森三内丸山遺跡栗クルミトチ。AD200年、魏志倭人伝で、倭人の武器はほこ、たて、木弓(木は折れないように1.4mの長弓、その後、竹張合わせ)、矢(木、竹)、矢じり(鉄、骨)、平安時代、やり、ほこが国内から消えた、壇之浦弓矢300m飛ぶ、1300年太平記やり、戦国時代は長やりで上から叩け、三十三間堂120mの通し矢、関ヶ原・騎兵は指揮者で戦いは馬を下り徒で、日清戦争村田歩兵銃剣銃(長1.3m、重4.5kg、着剣時長1.8m、重5kg)、戦車(国内では平地が少なく、道も悪く、軽戦車中心に製作)