日本の国家神の推移

日本の国家神の推移

(アマテラスの誕生 溝口睦子)

1.古代日本は弥生時代以来の南方多神教世界から始まった。無文字社会であり、稲作文化の普及時代でヤマト王権時代(400-600年)はイザナキ・イザナミ系神話を豪族連合が伝承した。オオクニヌシが神様の中の神様であった。そこでは、アマテラスは創造神イザナギ・イザナミから生まれた太陽神で、弥生時代に遡る古い女神である。

2.300-440年の時代は、中国は五胡十六国の動乱時代になった。朝鮮半島は高句麗、百済、加羅の時代であった。高句麗の「好太王碑」によると、400年と404年に倭は壊滅・惨敗したと書かれている。倭王武は478年高句麗打倒を誓っている(宋書)。応神王朝は大阪河内平野で騎馬戦向きの朝鮮半島の武器武具の導入を図るとともに、氏族制的多神教世界から専制的な統一王権に切り替えるために、従来の多神教的世界から唯一絶対の至高神を持つ王権思想に転換した。高句麗・百済の天孫降臨神話を導入して、タカミムスヒが天孫を降臨させたとした。以後、皇室は皇祖神をタカミムスヒとして祭ってきた。記・紀には、タカミムスヒがニニギノミコトを葦原の中つ国の君主にしようと思わたと書いてある。

3.645年中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺事件が起きた。大化の改新の大改革が始まった。663年、百済の白村江で、唐と新羅の連合軍と戦って惨敗した。都を滋賀県大津に移した。圧倒的に優勢な中国文明の唐の律令国家制度を導入した。大王は豪族達を介して人民を支配する間接支配であったのを、大王が直接人民を支配する一君万民に切り替えようとした。

4.天武天皇は天智天皇の律令国家制度確立を引き継いだ。従来の氏姓制度を終焉させ、タテの序列をもった姓(カバネ)を作った。古事記(712年)、日本書記(720年)でアマテラスを皇祖神に決定した。天武天皇は、新しい統一国家の国家神として、一般の人には親しまれていない北方ユーラシア文化のタカミムスヒではなく、人々に古くから親しまれている神、求心力をもった神としてアマテラスを国家神にし、旧来の氏族の支持も得ようとした。

5.天皇の伊勢神宮参拝は、古代には一度も行われていない。明治2年に行われた明治天皇による参拝が史上最初のものである。古代のアマテラスは、建前上は皇祖神=国家神であっても、実態は地方神で違っていた。アマテラスが名実ともに皇祖神になったのは、明治に入ってからだといえる。