日本は戦後、従属を選んでいる
(勝つ日本 石原慎太郎、田原総一郎 2000年)
石原慎太郎と田原総一郎の対談。
田原 世界は変わったが、日本は変わっていない。1952年サンフランシコ講和条約で独立した。吉田茂首相の日本は、損得勘定で従属を選んだ。アメリカも子分として為替、資本、技術、護送船団方式競争なしの態勢を許し援助した。日本はアメリカの援助で、経済重点で世界第2位の経済大国になった。1990年までの米ソ冷戦が終了すると、アメリカは「従属」を許さなくなった。グローバル化、アメリカ流儀の自由化・金融ビッグバンを押し付けた。下駄が無くなった日本は、従属からの自立もできずに自由競争に翻弄され、30年デフレになった。
石原 日本は戦後、自主的に従属を選んだ。正に外国からのミサイル一発が、効果を生むかもしれないくらい、日本は受動的になってしまった。自己決定能力を封印してしまった。
田原 伊藤博文が明治憲法を作った。天皇の主権者の名前において、元老が動くシステムです。元老が次々死ぬと、政党政治が代わりを務めようとした。ところが、政党政治は今も昔も評判が悪い。そこに軍が出てくる。軍人勅諭を作った山形有朋は「軍人は一切政治に関わるな」と明記した。1945年の敗戦まで、職業軍人には選挙権が無かった。戦争技術者集団だった。ところが、政党政治が隘路に入ったとき、君側の奸を除くと称して、クーデターを企てる。国家大計に口を出すようになった。今が違うのは、主権者の天皇がいないことです。
石原 国の防衛力は、国際的に明示してこそ、真の抑止力になる。
田原 自立と孤立は違う。明治の成功と、昭和の失敗の差異は、明治の政治家は、国家として何がしかを行うときに、必ず事前に、欧米の列強、関係諸国に相談し了承を得ていた。たとえば、日露戦争をはじめるときはアメリカの了解を取り付けている。仲間づくりをしていた。ところが、昭和になると、配慮も相談する謙虚さも失い、独走してしまった。国際世論を味方に付けぬまま、日中戦争に突入してしまった。
石原 アーノルド・トインビーは、国家の衰退・滅亡の原因は自己決定できなくなることだと言っている。自分たちの戦略を立てられないと滅びる。
田原 日本は戦争での失敗が戦略的思考を封印した。戦略を放棄して、戦術だけを使うことにした。戦略を持たないことを、戦後の日本の戦略にした。
米中冷戦の時代になった。日本はまた、米ソ冷戦の時代の従属の時代に戻ろうとしている。しかし、決定的に違うのは、米中対戦の時代は、地理的に最前線・先鋒先陣に立っているのは、日本ということだ。