能
(日本の伝統とは何か 梅原猛、インターネット情報)
能は推古天皇時代の隋の呉楽、奈良時代の唐の散楽を起源とした、庶民に支持された歌舞娯楽である。寺社での猿楽から、観阿弥、世阿弥が出てくる。今熊野神社で室町幕府三代将軍・足利義満が親子の能を見て気に入り発展した。戦国時代にかけて武家が自分で演じることも流行った。幸若舞(能の原型)の敦盛を織田信長が愛好した。能には武士の悲哀を描いたものが多く共感されたと思われる。そして、豊臣秀吉、徳川家康も非常に愛好し、能楽を支援した。段々格式が高くなり、庶民は小唄、歌舞伎、人形浄瑠璃に親しむようになった。
世阿弥は能を二曲三体と言った。二曲というのは、舞と音曲、三体は老体・女体・軍体で成り立つとした。能は江戸幕府に保護され、五番立てが確立した。一番目物から三番目物までが、老体・軍体・女体もので、四・五番目物は物狂い・鬼の能である。世阿弥作の能では、一番能(脇能=シテ・主役が神、神事・能の原点)は高砂、老松、二番能(軍体能・修羅能)は清経、八島、三番能(女性の霊)は井筒、桧垣、四番能(物狂い、雑能)は砧きぬた、恋重荷、五番能(切り能、鬼の能)は鵺ぬえ、山姥を作っている。八島は複式夢幻能(シテ主役は怨霊、ワキは旅の僧)の典型である。
人気能として、道成寺(シテ白拍子・蛇、ワキ僧)、鞍馬天狗(シテ天狗・牛若丸、ワキ僧)、安宅あたか(シテ武蔵坊弁慶、ワキ安宅の関守)、土蜘蛛(シテ僧形・土蜘蛛の精、ワキ源頼光)、葵上(シテ六条御息所の霊、ワキ聖)などがある。