地獄の沙汰も金次第=示談
裁判は有罪と決まると大変な事になる。
「地獄の沙汰も金次第」ということわざは、示談の重要性を示している。
無実なら別だが、ちょっとでも疑われる事案、例えば、セクハラなどの場合、何が何でも、かなり金がかかろうとも、事前に示談に持ち込まなければいけない。なぜなら、万一にも有罪になると、大変な社会的信用が失われるからだ。公的な裁判結果の信用は元に戻らないのだ。そのことを考えると、お金など大した事ではないのだ。
それから、裁判に関することで、重要な言葉がある。「記憶にない」という言葉だ。裁判は、自分に不利なことを、わざわざ、言い出さなくても良いという決まりになっている。問題の有り無しとその内容について、自分から言い出して、議論にする必要はないのだ。