日本の戦後保障と尖閣諸島領有について
(日本軍事入門 前田哲男、飯島慈明)
1.日本の戦後保障
政府間の賠償支払で、被害を受けた個人への支払ではない。個人へは、その国の政府が対応する。その後、ODA資金で、被害国のインフラ整備をし、国家賠償行為と位置づけた。。
戦後の賠償協定 ビルマ(1955年、720億円)、フィリピン(1956年、1980億円)、インドネシア(1958年、803億円)、ベトナム(1959年、140億円)
韓国 1965年 日韓基本条約締結(賠償金は総額8億ドルー無償3億、政府借款2億、民間借款3億、引き換えに賠償請求権を放棄した)
中国 1972年 日中共同声明(内容 中華人民共和国が合法政府、台湾は中国の領土、中国の対日戦争賠償請求放棄)。また、その後のODA資金で、インフラ整備をし、国家賠償行為と位置づけた。
日本政府は、戦後賠償は1990年代までに終了という立場を取っている。一方、日本国内の300万人の戦没者には遺族年金が現在でも支払われている。戦後日本人は、戦争責任は東京裁判で決着済みという認識を共有している。しかも、戦争世代は、自らも被害者なのに、加害者と位置づけられるのを否定したいと思っている。
2.尖閣諸島の領有
1895年、日清戦争の最中、日本側が「無主物先占」宣言を行なっている。近代国際法の法原則で、無主物の存在が確認された場合、先に占有支配したものが、所有権を獲得することになっている。
現在の東アジア秩序は、1951年サンフランシスコ講話条約で規定されている。この条約は、日露戦争以後における東アジア地域で派生した事象を再定義する試みである。これに依拠すれば尖閣諸島の領有は、日露戦争に先立つ日清戦争時に、既に決定済みであるとするものある。講和条約では、日本が戦争によって獲得あるいは占領した土地などを完全放棄することが決定されたものの、あくまで対象時期が日露戦争以降であるかぎり、日本の尖閣諸島領有は法的に認知されている、という立場を日本はとっている。しかし、沿岸漁民への配慮等は行われている。