帝国主義とは何だったのか
(すぐわかる国防学 林信吾 清谷信一)
18世紀後半から19世紀にかけては、帝国主義の時代であった。産業革命の結果、それ以前とは桁違いの工業生産力を得たヨーロッパ列強は、植民地から得た資源を本国に運んで加工し、その製品を植民地で売りさばき始めた。
この当時、帝国主義と呼ばれた政策は、自国民の生活を豊かにするばかりでなく、植民地となった地域にも、文明の恩恵をもたらすものであるから、「正しいこと」と考えていたのだ。
このことは重要だ。
過去の戦争とか、歴史問題について考える場合、まずこのことを念頭に置かないと、建設的な議論ができなくなる。
日本の場合、敗戦の教訓から、現在の視点で考える誤作動が起きる。「戦前の日本は、侵略ばかりしていた。悪い国だった」「理由はどうであれ、他国に軍隊を送り込み、主権を奪って支配する行為は、悪いことであった」と決めつけて事足れりとする傾向がある。歴史問題を考える時、この帝国主義の歴史事実を前提に考えなければいけない。
(日本軍事入門 前田哲男、飯島慈明)
1931年関東軍の満州事変による満州国植民地化は、欧米各国の支持を得られなかった。日清・日露戦争による台湾、朝鮮の植民地化は了解されたが。リットン調査団は、満州における日露戦争で得た権益は認めても、満州国建国は容認しなかった。以後、独裁軍部により、メディアが「国策発動に協力する」「満州事変支持」に方針転換された。1937年以降、日中戦争が全面化すると、1938年国家総動員法が成立する。新聞メディアは、中央3紙(朝日、毎日、読売)、ブロック紙4紙(東京、中日、大阪、西日本)、業界紙2紙(日本産業経済、産業経済)、県紙(1県1紙)に新聞統合された。大本営発表になった。旬刊「東洋経済新報」社長の石橋湛山(戦後首相)は、小日本主義(中国政策や三国同盟を批判)を主張したが、すでに言論・結社の自由は、抹殺されていた。