グローバリズムVS国民国家

グローバリズムVS国民国家

(グローバリズムという病 平川克美)

グローバリズム主義とは、共産主義と同じように、モデル思考のイデオロギーである。グローバリゼイションとは、「消費者の商品選考=より効率的で廉価な商品を選ぶ」という「お客様は神様です=事実・真実」に従った生活向上活動である。一方、グローバリズムは、多国籍企業の収益増大策の1方針である。利益追求の多国籍企業が、「より効率的で廉価な商品を追求」した結果、重大な不都合が生じてきた。効率的で廉価な商品を提供するかわりに、国民国家の国民の雇用と所得・需要を奪ってしまった。多国籍企業は、国家への納税回避、不公平な資産偏りと相続(上位3%が国民資産の50%所有で、生まれながらにして金持ち)、4割の貧困階級(貧乏人の子は貧乏人になる)の固定化、株式配当金など金・資産が金・資産を稼ぐ仕組み、物金人の自由化で、高い商品生産者の廃業、海外工場の設立と配当金の高額化、人件費の安い移民と国内労働者の低賃金化など「不公平で、持続不可能な国家」状態になったのだ。

国民国家とは何か。あらゆる生物体は、棲み分けて生き延びてきた。神聖ローマ帝国は30年戦争で、果てしない争いを終結させるため、1648年ウエストファリア条約でプロイセンとオーストリアという主権国民国家体制が確立した。国民国家という概念は、国家同士が互いの殲滅戦争をやめ、地球上に棲み分けるという概念である。商品経済は、安く良いものを選ぶという、国民国家の棲み分け原理とまったく違う。金銭一元化価値観、等価交換の思想である。多国籍株式会社は自己の利益追求のため、国民の幸福、国民の存続という国民国家の枠組みを超えようとしている。ウォルマートが進出した地域は、一時的に繁栄する。しかし、ウォルマートが他店舗と比較して、非効率と判断すれば、その地域から撤退する。その地域の小売業者も消費者も打撃を受ける。ウォルマートにとって、地域は消費者の集合体=1市場・需要に過ぎないのだ。トヨタ自動車の強さは、社員のロイヤリティの強さ=年功序列、終身雇用の家族主義的価値観であるが、多国籍企業の価値観とは、原理的に相容れない。これからは、持続可能で、国民が幸福になる家族主義的な、国民経済、会社経営が必要になる。