明治国家は江戸幕府の土台で作られた

明治国家は江戸幕府の土台で作られた

(日本の論点 大前研一)

明治時代と昭和軍部時代の相違は、土台に徳川家康の組織としての、謙虚な驕らない守りの経営理念の土台が有ったか無かったかの差である。

徳川家康の遺訓

「人の一生は重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば、不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて、人を責むるな。及ばざるは、過ぎたるに勝てり」

家康が志向したのは、謙虚な驕らない守りに強い組織だった。260年間の、世界的にも類を見ない安定と秩序をもたらした。幕末の幕臣、小栗忠順(ただまさ)は、関税率改定交渉で咸臨丸(勝海舟、福沢諭吉ら乗船)を引きつれ米国に行き、東海岸の海軍工場を視察後、大西洋、インド洋を経由して世界を見聞した。帰国後は、日本の近代化事業にあたった。最大の功績は、横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)の建設だろう。日清、日露戦争勝利の原因、日本の近代軍備の源を作った。乗員の俊才たちは、明治新政府で大活躍した。

昭和軍部は、勝つことばかり知った、驕り・やり過ぎ・利己主義・エゴイズムになって、害その身に至ったのだ。