お金から見た日本の近現代史

お金から見た日本の近現代史

(お金の流れで読む日本の歴史 大村大次郎)

近現代というのは、よく分からないという人が多い。学校の歴史の授業では、近現代史は、はしょられることが多い。現在の権力に直結しているので、事件を羅列して終わることが多い。これを、お金を軸にして考えてみると、あっけなくその背景理由が見えてくるが多い。

1.戦前日本の急成長と経済摩擦の発生

①明治維新から第2次世界大戦までの70年間で、日本の実質GDPは6倍になった。実質賃金は3倍、実質鉱工業生産は30倍、実質農業生産は3倍になった。欧米の輸出シェアを奪った。1910年日本は造船輸出国になった。第1次大戦後、イギリス、アメリカに次ぐ第3位の造船国になった。

②1929年世界大恐慌後、日本は品質向上と半減の円安になり、集中豪雨輸出をおこなった。特に繊維業で、イギリスの植民地インド市場を奪った。イギリスは高関税のブロック経済化で輸入規制を行った。

③インド市場から締め出された日本は、はけ口を満州に求めた。最後の獲物・満州をかけたアメリカとの闘いが始まった。満州国の建国は、南満州鉄道の利権争いが発端になり、1931年満州事変が起こった。日本は南満州鉄道と沿線の都市の行政権も獲得した。中国と欧米資本は、南満州鉄道と平行して走る鉄道会社を作り、競合した。1930年には満鉄の収益は半減した。張作霖爆死、柳条湖爆破、全満州占領、満州国建設し、権益を確保、国際連盟から非難されると、1933年脱退した。

④日本国民は満州事変を支持した。戦前の日本は現代以上に格差社会だった。半分が農業で、小作人が半分を占め、世界恐慌、東北の冷害、都市部の貧民街の存在、特定商人の優遇による財閥の富の独占などにより、1936年二・二六事件が起きた。軍部は、生活が困難なのは、政治家と財閥が悪いせいだとして、高橋是清などを殺害した。

⑤日本とアメリカはお互いにお得意様だった。日本の輸出の4割はアメリカ、アメリカの輸出先の3位は日本であった。1938年、日本は「東亜新秩序」を発し、東アジアの市場を日本の支配下に置くとした。1941年ゴム・錫の生産地南インドシナに進駐した。アメリカは2日後、「在米資産の凍結」を行った。当時のアメリカ・ドルは唯一の国際通貨だった。これが、凍結されると、石油輸入や貿易支払が出来なくなった。横浜正金銀行ニューヨーク支店の破綻で、為替業務、国債支払も出来なくなった。日本の国際貿易が終わり、日米開戦が決定した。早期戦争終結予想に反し、日本は日銀引き受けの公債を発行し、日銀券紙幣を発行した。1~2年の予想が4年も続いた。

⑥結局、日本の国内の巨大格差問題と「東亜新秩序」による東アジア市場争奪と南インドシナ進駐が、第2次世界大戦を引き起こし、敗戦に結びついたのである。満州だけなら、切り抜けられたかもしれない。

⑦進歩より、守りに強い考え方・組織を作ることが大事だと分かる。徳川家康は織田信長、豊臣秀吉を見て、「堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くるを知らざれば、害その身に至る。及ばざるは過ぎたるに勝てり」。組織の長として、「驕るべからず」と戒めた。