日本陸軍「誤った幻想」、日露戦争の後先

日本陸軍「誤った幻想」、日露戦争の後先

(これまでの百年、これからの百年 長谷川慶太郎)

1945年第2次世界大戦で日本が敗戦した。その100年前は1895年、日清戦争で勝った。1868年明治維新を成し遂げ、欧米の植民地侵略から「日本を守る」ため、欧米化・富国強兵を進め、27年にして、ようやく欧米レベルの軍事国家になった。その10年後、世界最大の陸軍国ロシアと日露戦争を行い、撃破し勝利した。台湾と韓国を植民地にし、アジアの強国としての地位を獲得した。

しかし、日露戦争の後先で、日本陸軍の「基本姿勢」がガラッと変わってしまった。成功に酔い、努力を怠る、思いあがり・「努力せずして強いという誤った幻想」=「日本独特の精神主義」・格差主義・日本民族主義になってしまった。これが、日本の孤立化・国際社会からの孤立化を招き、1945年の敗戦に結びついた。

日本陸軍の幹部・将校は日露戦争当時、陸軍大学校で外国の軍事専門書を勉強することであった。ところが、日露戦争後は、日本陸軍の定めた戦闘行動の基準などの「典範令」の勉強で十分とされた。外国の情報を得ずに、自らを孤立させ、閉鎖する方向・「孤立化への転落」を端的に示すものは、「捕虜の取り扱い」である。19世紀の後半に入って、世界的に「人権」という発想が、文明社会の重要な柱となった。ハーグ国際会議で「捕虜の取り扱いに関する国際協約」が制定された。日露戦争の際には、日本はハーグ条約にしたがって、9万人を超えるロシア軍の捕虜を、きわめて人道的に、適切な処遇をした。日本軍の捕虜も、帰国したあと、不運な軍人という認識で、「金鵄勲章」を授与された。ところが、昭和16年になると、陸軍大臣東条英機の将兵心得「先陣訓」では、捕虜蔑視、捕虜になることを徹底して拒否することになった。問題は、当時、日本社会や陸軍は徹底的な「厳しい身分制」「軍隊内での格差社会」であったことだ。上部層・将校は守られていた社会なのだ。日本陸軍の「孤立化路線」「精神主義路線」は、国内での反対を抑えるために、陸軍の「テロ」を繰り返す。その典型が、5.15事件であり、その頂点が2.26事件であった。その総決算が、第2次世界大戦の敗北であった。