大久保利通と明治維新
(氷塊 大久保利通 秋山香乃より)
小説ではあるが、大久保利通と明治維新について、納得できるので、この本の考えを採用したいと思う。明治維新の歴史は、教科書などからは良くわからないが、島津久光、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛について背景・詳細が分かると、理解しやすい。
1.欧米との不平等条約の改正がキーポイントとみたこと。そのために、現状維持派かつ徳川第1主義の徳川政権の排除および王政復古・新政府が必要と考えたこと。早急に対応しないと、不平等条約⇒貧困化⇒租界・属国化という清朝の二の舞になると考えたこと。改正には、実力(近代的軍隊、近代的工場、近代的技術、近代的資本主義、豊富な政府予算、近代的社会構造、近代的憲法・法律が必要)がないと、欧米は応じてくれないと洞察したこと。徳川政権が結んだ不平等条約(関税自主権なし、領事裁判権、全欧米諸国最恵国待遇)の期限が、明治5年に切れるため、明治4年から明治6年まで、下交渉・調査のため新政府の半分を割いて岩倉使節団を送った。独ビスマルク宰相や英公使のアドバイス等の結果、近代的憲法・法律のない、実力のない日本は条約改正の延期を求めるしかないことを悟った。条約改正は、日露戦争後になる。
2.薩摩藩の西洋化政策。島津斉彬は、清が租借地を与え、属国化の道をたどっているのを見て、沖縄を拠点に列強が日本進出を図る動きに対して、西洋化で対応しようとした。反射炉・溶解炉および蒸気船を製造した。武器・地雷・水雷・ガス燈・電信機・日の丸の提案など。斉彬は身分を問わぬ人材登用で西郷吉之助を引き立てた。斉彬の開明派をついだ島津久光は、城下士族末席の大久保(開明派で精忠組をつくる)を、提案内容の良さを気に入り引き立てた。西郷・大久保と開明・革新派・下層士族が世に出た。薩摩藩は近代兵器による軍事力中心の実力主義を採用した。
3.明治維新における西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視の功績(西郷・大久保は、下級士族。岩倉は下級公家)
西郷隆盛 ①慶応2年(1866年)薩長同盟(薩摩は幕府の出兵要請を拒絶する)長州は桂小五郎、立会人は坂本龍馬。結果、出兵要請受諾藩は14藩のみ。長州は幕府に勝つ。②慶応3年(1867年)12月西郷軍は幕府軍と開戦、慶応4年(1868年)江戸無血開城。
大久保利通 ①文久3年(1863年)薩英戦争で補佐役の大久保は、暴風雨の7月2日イギリス艦に砲撃、翌日イギリス撤退、薩英戦争は休戦になった。講和交渉に成功し、イギリスとの交友関係始まる。②明治6年内閣に内務省を新設し、内務卿になり、権力を集中させた。佐賀の乱(江藤新平)を平定、台湾に出兵し、琉球を日本領と確定。明治8年樺太千島交換条約。明治9年、日朝修好条規。明治10年の西南戦争(西郷隆盛)を平定した。明治11年5月、5人の暴漢に切られ死亡。死後、現金140円。借金8000円(国の事業の個人保証)が判明した。
岩倉具視 ①慶応3年(1867年)明治天皇に王政復古の大号令発令の根回しをした。薩摩・芸・尾・越の4藩の倒幕戦争(戊辰戦争)に際して、錦の御旗(官軍)の図を提供し、薩長は日月章錦旗2、菊花章の紅白旗10を作成使用し、勝利した。②明治6年、征韓論の西郷、江藤、副島、板垣、後藤を除くため、病気の三条太政大臣の職務続行者となり、明治天皇に征韓論の受ける国力が現在ないことを訴え、明治天皇の裁可を得て失脚させた。大久保主導の内閣を作らせた。太政大臣 三条実美、左大臣 島津久光、右大臣 岩倉具視、内務卿 大久保利通。