徳川家康の洞察力・檀家制度

徳川家康の洞察力・檀家制度

(徳川家の謎 小泉 俊一郎)

江戸時代に宗教一揆がなぜ起こらなかったのだろう。徳川家康は三河一向一揆に苦しめられた。織田信長も豊臣秀吉も旧宗教勢力に苦しめられた。越前一向宗は税金軽減の独立国を作った。旧仏教も僧兵を発動させた。キリスト教は、主従のちぎりに優先し、外国支配の独立志向だった。そして、キリスタン禁教令を発した。切り札は檀家制度だった。すべての日本人が、いずれかの寺院の檀家にならなければならないということは、寺院は信徒を囲い込んだことになる。葬儀や法事などの安定収入が保障された。さらに、キリスタンでないという寺請証文を出した。これは、宗旨人別長になり、戸籍謄本、住民票である。寺院が関所手形(パスポート)を出した。本山末寺の制度を作った。寺領を与え、本山を懐柔し、末寺は絶対服従する制度だ。本山を通じ、徳川幕府が末寺や信徒を支配する制度である。寺院は幕府や諸藩の末端機関になったのだ。寺院や僧侶にはそれなりの世俗的権威が生ずる。収入と生活が安定し、世俗的な権威も身につけた僧侶は、生活が安定し、安住し気概がなくなり、宗教一揆の可能性がなくなった。これで、政教分離の貫徹に成功した。