植民地主義と地政学とイスラムテロ
アルカイダ(聖戦基地)や過激派組織イスラム国(IS)のテロが終わらない。この原因は植民地主義(イギリスのスエズ運河重視、アメリカの石油重視、英仏の中東、アフリカの植民地政策)にある。植民地政策は分割統治と利益第1主義と「敵の敵は味方」政策である。第1次大戦後、負けたトルコ帝国の分割を英仏露が中心となって行った。スンナ派(多数派)のカリフがトルコ人であったが、預言者ムハンマドの一族アラブ人が代々カリフを世襲してきたので、アラブ人にカリフをけしかけた。一方、ユダヤ人にはパレスチナを国家建設地と約束した。現地の民族、宗教を無視してサイクス・ピコ協定により、領土分割を行った。シリアがフランス領、イラクがイギリス領、パレスチナがユダヤ人(ロスチャイルド家の軍資金見返り)、トルコ本土一部がイタリア(しかし、ケマルパシャが皇帝を退け、軍事革命をし、戦争で本土は守った)となった。オスマンの支配から脱したら、アラブは植民地に転落した。分割統治のサイクス・ピコ協定が発端なのだ。
ナセル・カダフィらアラブ諸国は社会主義を目指す。イランはシーア派(血統重視でイスラム法学者支配)ですが、1980年ホメニイがイスラム回帰のイラン革命でイラン・イスラム共和国が樹立されます。古代のペルシャ帝国を目指しています。スンナ派(スンナ=慣習法、経典重視でカリフは実力者がなる)のイスラム国家を目指すISは、イラクとシリアで活動し、将来は中近東、北アフリカにまたがるスンナ派カリフ国樹立を目指しています。1990年ソ連崩壊・冷戦終結により、アラブ社会主義は崩壊し、アメリカの民主化に応じたら、貧富の差が拡大、独裁政権が崩壊した。次は本来のイスラムの伝統に回帰する動きになっている。「イスラム原理主義」という解決策が出てきた。イラクとシリアという人工国家は失敗だったのだ。
もう1つの問題は難民問題です。これも、EUが過去に行っていた植民地政策の「負の遺産」です。地中海を囲む地域のヨーロッパ、中東、アラブ諸国は、日本列島1つくらいの大きさしかありません。昔から民族の移動が繰返されていました。かっての宗主国のイギリスやフランスの言葉を話せる偽装難民が豊かな国で稼ぐため、EUに流入し続けるのです。生存競争・現実主義です。