政治-3 靖国神社

政治-3 靖国神社

(バカが多いには理由がある 橘 玲より)

靖国神社は明治維新の翌年に戊辰戦争の官軍の犠牲者をともらう「東京招魂社」として建立され、その後、明治天皇によって、「靖国」と改称されました。天皇の神社だったのです。ところが、戦後、GHQが国家神道を廃止しました。靖国神社も一般の宗教法人に格下げされます。

ここで問題が起きます。国のために生命を捧げた兵士たちの慰霊は国家が行うのが当然ですが、民間の宗教施設が英霊を祀っていることです。

靖国問題は、1978年に東条英機元首相などA級戦犯14柱を合祀したことに始まっています。A級戦犯の扱いのような、国論を2分する政治決定には、国会で議論したうえで行うのが当然ですが、靖国神社は民間施設なので、何の説明もないまま、一方的に合祀が行われてしまったのです。A級戦犯合祀の最大の代償は、昭和天皇が靖国参拝をやめてしまったことことです。昭和天皇は合祀に強い不快感を示し、「だから私は、あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べました。今の天皇も、即位以来いちども参拝していません。A級戦犯を合祀したことで、靖国神社は、本来の祭司である天皇を迎えることができなくなりました。天皇参拝も靖国神社のA級戦犯分祀もできないため、保守派の人たちは、この問題を見て見ないふりをして、首相を参拝させることで、満足しているのです。

東条英樹は「生きて虜囚の辱めを受けず、死んで罪過の汚名を残すことなかれ」という「戦陣訓」を示達した本人が、自決に失敗し、敵の囚人になったことで、「究極のモラルハザード」になったのです。300万人の犠牲者を出した敗戦後、手のひらを返したように、民主主義を賛美する権力者への反応は怒りより、冷笑に近いものでした。このとき日本は、「国家の信任」を完全に失ったのでした。その後の日本は、戦争責任の問題を棚上げするという低姿勢が現実的なものでした。

国家としてのアイデンティティを取り戻す安直な方法は、大東亜戦争を民族自決の聖戦として再定義することですが、これでは、国際社会で生きていけません。かといって、戦前を全否定するだけでは、アジアの批判に押し黙ることしかできません。仮に憲法を改正したとしても、国家の威信を取り戻す事はできません。

しかし、隣国同士で悪口をぶつけあうだけの、平和な日本がどれだけ素晴らしいものなのか、現在世界のテロ・紛争を見ると、あらためて思い知る必要があるとも思います。