バブルと不良債権と長短金融
(黒田東彦 通貨の興亡 より)
1985年「プラザ合意」ができる時は、1ドル250円だった。円高ドル安にする合意ができた。1985年ー89年のバブルの原因は①期待に基ずく資産価格(不動産、株式=株価4倍)の上昇②160円の時点での大幅金融緩和資金供給、金融制度の自由化=CPの発行で大手企業の銀行離れ財テク、中小企業不動産投資への融資などである。当時、世界のベストテンの銀行は日本の銀行であったが、バブルが資産を膨らませただけで、1990年バブルが崩壊したら中身がなかった。90年代前半は不良債権処理で、経済が急速に悪くなった。95年の阪神淡路大震災で、円の需要が増えると予想され、円は80円を切るまで円高になった。この対応策は①膨大な為替介入②公定歩合0.5%で、120円の円安に戻した。
1997年7月タイを発端にアジア通貨危機が起きた。日本も厳しい金融危機が起きた。東アジアで一番融資残高が多かったのは、日本であった。銀行の不良債権が増加した。97年4月に消費税が3から5%に上がった。11月に国内金融危機になる。マネーマーケットの参加メンバーの三洋証券の破綻で、地銀以下の金融機関はマネーマーケットに資金供給をストップし、資金供給が全面ストップした。資金を取り入れていたのは、都銀、長信銀、証券会社であった。都銀に貸す金が無くなった。北海道拓殖銀行破綻、山一證券倒産、德陽シティが破綻した。98年日本長期信用銀行、日本債権信用銀行が破綻した。国民は消費をやめ、貯蓄した。一挙に不況になった。その後は、銀行は統合し、資本を増やし、リストラをし、安全運転をしていたので、2008年のサブプライムショックでも乗り切れた。
アジア通貨危機の原因と対策 97年アジア諸国から大量に資本が流出した。各国は通貨をドルにペッグしていたので、安心して、大量に外資が流入した。タイのバブルが崩壊し不良債権がたまると、資金を引き上げた。短期の外資を取り入れて、内貨で長期貸しをやっていた。インドネシア、韓国、フィリピン、マレーシア、香港など各国はドルペッグを守るため、買い支えたが、外貨準備がなくなった。IMFは金融支援に冷淡な態度で、通貨危機と無関係な構造改革・財政引締めをやらせた。金融危機、経済危機が深化していった。8月に日本が主導して、タイ支援国会議を開催した。各国が拠出額を決めて、IMFに追加して金融支援、全体で110億ドル支援した。その後のインドネシア、韓国の通貨危機にも支援を増やした。99年には、各国は急速に回復した。2000年5月にASEAN+3(日本、韓国、中国)がチェンマイ・イニシアティブを創設した。440億ドルの金融セーフティネットワークである。2003年には、長期資金を確保するため、アジア債券市場育成イニシアティブが発足した。金融機関からの資金調達と株式市場からの長期資金調達が必要なのだ。
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