食の500年史 Jeffrey M.Pilcher米国
人類の食文化の歴史はグローバリゼーションの歴史だった。
ここでは、主にコロンブスの交換(新作物の獲得)から現代まで流れを見てゆく。
1.はじめに
人体は炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を必要とする。人類は適応の幅が広く、農耕民族は80%のデンプンで、イヌイットは鯨肉中心の食生活で生きてきた。遊牧民はビタミンDを大人になっても、ミルクから摂取できる。現代は食のグローバル化がドンドン進んでいる。本書は食物がグローバルな近代・欧米に与えた影響を見てみる。
2.日本の縄文時代と弥生時代の食文化(番外)
日本の縄文時代は紀元前16,000年から紀元前2,000年位まで、1万年以上続いた。エジプト文明が3,000年程度なのに、特異な文明である。狩猟採集・定住栽培の食物を、縄文土器で煮炊きして食べていた。春は山菜と魚貝、夏は野菜・魚、秋は鮭とクリ・ドングリ、冬は山の動物と、春夏秋冬の食物の狩猟採集で生きていた。大豆もあり、納豆も食べていたという説もある。BC2,000年からAD2,000年の弥生時代から、鉄器と米作の農業文化が始まった。
3.最初の世界料理
文明は農業の賜物である。余剰食物で時間が出来、文化が発展した。1万年前、中東で麦を栽培して始まった。アジアで米、メキシコでトウモロコシが主力農作物となった。遊牧民(ヘブライ人、ユダヤ人)は犬、羊、牛、山羊の家畜化をした。豚は不潔な動物で生肉が食べられなかったので、食用には適さないと考えていた。ユダヤ教、イスラム教などは豚を食べなかった。一方、都市部の人は生ゴミを食べてくれる豚を好んだ。
①中国料理 雑穀、小麦、南部では米を粥にして食べた。主食、肉、大豆、野菜をバランスよく食べることが重視された。後に、遊牧民からミルク、チーズを受け入れた。
②ローマ料理 共和制ローマでは、小麦の粥にソラマメを添えたものが、一般的食事であった。その後、パンとワインの食習慣になった。野菜はオリーブ油をかけてサラダとして食べた。肉はブタ肉を好んだ。
③イスラム料理 ムハンマド(600年頃)が創始したイスラムは、700年頃までに、中東、ペルシア、ビザンチン帝国(ギリシア)、北アフリカ、スペイン、インドまで及んだ。3大陸の食材、料理法を得た。作物は東方から西方・西洋に広がった。コメ、砂糖、硬質コムギ(マカロニ)、かんきつ類、スイカ、バナナ、キュウリ、ナスなど。肉は羊料理で、アルコールの代わりにコーヒー。バター、チーズ、ヨーグルトなど。
4.南北アメリカ
コロンブスが1500年(1492年)香料諸島への西方航路を開拓した。この後、100年で(1600年)、新病原菌などで先住民の80%が死滅する。その中で、スペイン人はアステカ、マヤ、インカ帝国を征服した。砂糖のプランテーションのため、1,000万人のアフリカ人が奴隷労働をした。そして、先住民、ヨーロッパ人、アフリカ人の混血が進んだ。
①メキシコ(中央アメリカ、アステカ・マヤ) 七面鳥、犬以外の家畜がいなかった。トウモロコシが総カロリーの80%をまかない、マメ類でタンパク質を補う穀類・菜食中心の食事であった。先住民はシカ、カモ、ウサギなどの動物性タンパク質を摂取していた。ヨーロッパ人が持ち込んだ家畜、牛・羊が増えた。ヨーロッパ人がパン、メキシコ人がトウモロコシを主食とした。トウガラシ、ココアもあった。
②ペルー(アンデス山脈と太平洋海岸、インカ)
トウモロコシ、ヒエの一種、ジャガイモ、コカの葉、リャマ肉、海の魚が主食であった。民衆はトウモロコシ、ジャガイモを好んだ。
③アメリカ産の作物が定着 トウモロコシは中東、インド、アジアに普及した。トウガラシもインド(カレーの材料)、アジアに普及した。サツマイモ、ピーナッツが中国に普及した。ジャガイモは1600年以降、アイルランド、フランス、ドイツ、ロシアに普及した。トマトもイタリアに広まった。
5.香辛料
イスラム商人は、モルッカ諸島のクローブ、ナツメグ、メースと南インドのコショウ、シナモン、ターメリック、カルダモン、ショウガ、バンウコンなどをヨーリッパ各地に運んだ。1530年ポルトガルは喜望峰周りで香辛料貿易を手中にした。1600年オランダ東インド会社が主導権を握った。香辛料は広く浸透し、ヨーロッパの香辛料熱が下火になった。
6.砂糖
イスラム教徒が地中海地域にサトウキビをもたらした。コロンブス以降、南北アメリカでプランテーションが拡大した。ヨーロッパの消費者も砂糖、コーヒー、茶、チョコレートを消費するようになった。
7.フランス、イギリス、日本支配者と民衆の料理の違いがある。フランス料理は貴族の高級料理と、イギリスの田舎料理が比較される。両者は同じ方向に進化した。個人用の、魚料理からフライパンを使った肉料理が増え、ソースはバターを基本とし、野菜を多用するようになった。
日本料理の原型が完成したのは、1100年頃で、一人用お膳に、食器一式を並べるようになった。ご飯と汁と魚と野菜であった。江戸時代、庶民階級が自由な食文化を開花させた。蕎麦屋、天ぷら屋、鰻屋、すし屋などが出来た。
8.清帝国、オスマン帝国、アイルランドの飢饉
いずれの国も、帝国の安定、アイルランドはジャガイモ栽培により、人口が倍増、4倍増など人口が増えた。人口が増えると土地の収穫能力を越えるようになった。新帝国は、社会福祉を尊重する常平倉という公的な穀物倉の活用があったが、衰退し、政情不安になった。オスマン帝国は、衰退の過程で、役人が利益をむさぼり、悪循環に陥った。アイルランドは1700年から150年間で、人口が4倍・850万人に増加したが、ジャガイモ疫病菌によって、100万人が死亡し、海外移住が増えた。
9.近代の食品工業化
19世紀以前は、白いパンや肉を食べられるのは、一部のエリート層のみであった。20世紀になると、工場で、食肉缶詰、パン、ビール、野菜缶詰、果物缶詰を作り、貨車、冷凍貨車で運んだ。飢餓に対する不安はなくなった。中国人やイタリア人の移民により、中国料理、イタリア料理が広がった。
10.20世紀、世界の料理のグローバル化
近代的作物、生産性の高い作物や家畜が、ほとんどの地域に導入された。5大陸の料理を味わう、グローバルな味覚が誕生した。
11.食料と人口マルサスが強調した、人口増加と食糧生産の不均衡は、今日もなお重要である。現在、遅れた農耕社会では、世界で10億人の人々が栄養不良の状態にある。食料をめぐる不平等が続いている。
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