逆境、不況、ピンチは、投資の最大のチャンス、石橋正二郎

逆境、不況、ピンチは、投資の最大のチャンス 石橋正二郎

2008年、ブリジストンは仏ミシュラン、米グッドイヤーを抜き、世界一のタイヤメーカーになった。創業者は石橋正二郎だ。無から有を生じた。彼は1906年(明治36年)九州久留米の家業の仕立て屋を継いだ。その後、足袋製造業に専業し、地下足袋で全国規模になり、22歳で、東京で自動車を見て、タイヤメーカーを目指した。正二郎の行く手には、工場火災、太平洋戦争、敗戦で海外資産喪失、朝鮮戦争終結時の在庫価格暴落など逆境、不況に遭遇したが、その度に思い切った変革で乗り切った。

17歳で家業を継いだとき、社業改革を実施した。第1は従業員の待遇改善。丁稚に給料を払う(仕事をするのに、無給では勉強しない)。第2は、足袋専業とした(先達のつちや足袋の成功を見習う)。第3は、ブランディングだ。名前を「志まやたび」とし宣伝した。

次に経営の近代化をした。第1は複式簿記の導入。第2は機械導入による製造合理化と品質向上。第3は適正利潤1割と設定した。販売の改革も実施した。直販から卸売りにし、販路を全国に拡大した。そして、新ブランド、アサヒ足袋の均一価格という価格革命を実施し、業界を制覇した。

次に、第1次世界大戦の不況時に地下足袋を開発し、履き物文化を革新した。オートメーション工場も導入した。昭和4年世界恐慌の中、タイヤ開発に乗り出した。昭和7年商工省優良国産品に認定される。昭和12年、東京に本社移転。タイヤ事業は、トヨタ自動車とほぼ同じように、浮き沈みはあったが、発展した。石橋正二郎の特色は、不況やピンチこそ、チャンスにし、変革・投資したことだろう。

「経営者は不況では、縮小経営に傾くのが人情だ。私は逆の考えで、大不況時代に積極主義を採った。足袋事業は世界大不況期に飛躍、地下足袋やタイヤ事業創立も大不況期だった。」

また、昭和17年(1942年)、長女の安子が鳩山一郎の長男威一郎と結婚し、長男由紀夫、次男邦夫を生んだ。無意識にしろ、正二郎の一流主義が閨閥を作ることになった。