必死に生きる岸信介

必死に生きる岸信介

日本人というか、人間が生きる姿勢が真摯なことが、分かっているのが、岸信介であった。大東亜戦争への彼の評価で分かる。当時の日本人の貧しさと必死さを理解していたと思う。

「この戦はあくまでも我らの生存の戦いであって、侵略を目的とする一部の貪りの恣言(しげん=自分勝手な言い草)から起こったものではなくして、日本としては、誠に止むを得なかったものであることを、千載まで闡明(せんめい=明らかにする)にすることが、開戦当時の閣僚としての責任であると痛感した。」と言っている。昔は帝国主義時代で、大清帝国の遺産の取り合いの状態であった。

岸信介は商工分野での責任者として、荒野の満州の第1次開発計画を企画実行した。工業生産量の増大に向けた統制経済理論をもとに、ダム建設、電力、石炭、鉄鋼、重工業などをゼロから立ち上げて成功した。物の製作については、ドイツに学び、極めてよく知っていた。もっとも、アヘンと岩塩から裏金を作り、政治・軍事・商工分野の工作資金にしていたが。戦後の東京裁判で、満州国予算の1割以上を占めたアヘン流通問題がうやむやになったのは、英国が加わっていたからだ。